3/5 fumi 南京へ行った時の話

妻へ。

肩身がせまい経験は社会人になれば誰だって経験することだろう。肩書きや役職という会社から与えられた武器に新入社員は苛まれ、夜の会食では朝日スーパードライの啤酒、失敬、瓶ビールを片手に注いで回っては、「おめえ、空っぽじゃねえじゃねえか」とビールがたっぷり入ったグラスを飲み干して、逆に注がれるという肩身狭い経験をする。あれは、僕が社畜訓練所、いや企業に入社した頃の僕の実体験である。

話が脱線した。

あれは日本人がチョンマゲだった頃かそうでないかくらいに遡る。僕は、日本の残留案件を潔く(逃げるように)引き継ぎ、「後は宜しくお願いしますぅ」といい、こちらへ来て忘れかけた時に「中国にいるんだから頼むよぅ」的な球をスーパーレシーブで跳ね返された。重い案件であったし彼らの地理的条件も考慮し、泣く泣く承諾して僕は南京へ行くことが決まった。

そして当日、僕は日本人出張者とある企業を訪問する為に南京へ向かった。南京までは車で3時間、新幹線で1時間くらい要する為、可能であれば速い手段の新幹線を選択するのが適当だが、何時に終わるか分からない為、車を選ばざるを得なかった。

連日の出張続きで疲れが溜まり、朝6時に集合して車に乗り込んでから、移動中は瞑想して休息を取ろうと決め込んでいた。とはいえ、日本からご支援にやってこられた人は粗末な対応をしてはいけない存在である。水戸黄門である。この人がいなければ、日本の関連部署へ回覧板を回し捺印してもらい、オッケーを取得できないのである。少しぼかした。そんな条件下で僕は無下な扱いはせぬよう少しだけ話して、会話が途切れたら瞑想しようと決めた。

乗り込んで早々、水戸黄門は僕に話しかけてきた。僕は適切に球を選びレシーブを返す。そして30分経った。しかし、僕はサーブを受け続けていたのである。会話が途切れるよう言葉も「ええ、そうですねぇ」的な球だけチョイスし弱いレシーブを返し続けていた。そして1時間、2時間、僕はずっとサーブを受け続けていた。しかも、5人乗りのセダンタイプの車に、4人も乗り込むものだから、下っ端の僕は後部座席の真ん中の座りにくいところに肩身狭くせざるを得ない状態での着座である。両隣を見ても彼らは水戸黄門のサーブを受けることなく瞑想しているのである。チッキショー!

こうしてお尻が痛くなるくらい肩身の狭い出張は10時間で幕を閉じた。